ただただ母性的な愛情を求め足掻き続ける不憫さ
私が少年、青年だったころ・・・
およそ自我というものがなかったように思う。
自分が何をしたいのか?
何ができるのか?
何ができないのか?
何に興味があるのか?ないのか?どちらでもないのか?
自分は痩せているのか?太っているのか?
自分は男前なのか?それとも不細工なのか?
自分は運動ができるのか?できないのか?
受験勉強はできるのか?何が得意なのか?
そういう基本的な自己認識が本当に悪魔的に皆無だった。
ではどうやって自己を認識していたのだろうか?
・・・信じられないことに母親(産み落とした生命体というだけの事実を根拠にこう名乗る人物)から言われた認識をそのまま何の疑いもなく信じていたのである・・・!!!
絶望だ!絶望だ!絶望だ!俺は母親のなんなのか!?
なぜこうまで自分を生んだというたったそれだけの関係しかないような
得体のしれない生命体に俺はこうまで囚われなければならないのだろうか?
・・・つまりそれが歴史であり、それが運命であり、それがつまり個人というものの限界であるからか・・・・??
絶望すること以外、これ以上何をしろというのだ・・・。