末人独行記

いまさら真人間に、とは言わんが独立して生きたい

セミリタイアどころじゃなくなった

1年くらい前からだろうか。

伊藤貫、西部邁氏の動画を狂ったように見て、内容を半年くらいかけて大体は理解することができた。自分なりに。

 

彼らのいうことはすべて同意するわけではないものの、とくにかく俺は

もうセミリタイアとか言ってる場合じゃないってことがよく分かった。

 

しかしかといって、日本国家自体がもうどうしようもない(オワコンっていうと若い人にはわかりやすいのかもしれないけど)、ここまでひどいレベルまで来てるという事実は・・・。

 

正直に言って、志士のような生き方は僕には出来ないと思う。

 

ただ金と英語とスキルアップ、キャリア形成に努めて、せいぜい不器用なできそこないの"グローバリスト"を目指してみる、ことくらいである。

 

30年後の日本というのは本当に想像がつかない。いや、悪い方にならいくらでも創造できるんだけど・・・。

 

今日は少し早いが仕事納めだった。

今年は本当に色々なことがありました。

とりあえず会社は辞めていない。

連休にやりたいこと。

勉強。片付け。パスワードの整理。モニタアームの設置。

冷蔵庫の導入。部屋の生産性向上。そうじ。ものを捨てる。売る。

眼鏡かう。

休日は、寝る、食う、それだけ。益々ツマナライ人間化している。

休日は寝る。食う。それだけだ。

益々ツマナライ人間になっている。。。

 

まずい。非常にまずい!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

とにかくやったことは

今一度だらだらとムフフサイトを見ることを

今度こそ、今度こそ辞めるため、ノートンファミリーを入れた。

理性があるうちに入れたぞ!!

 

ちくしょうううううううううううううううううう!!!

 

運命に打ち勝ちたい。

ただただ母性的な愛情を求め足掻き続ける不憫さ

私が少年、青年だったころ・・・

 

およそ自我というものがなかったように思う。

自分が何をしたいのか?

何ができるのか?

何ができないのか?

何に興味があるのか?ないのか?どちらでもないのか?

自分は痩せているのか?太っているのか?

自分は男前なのか?それとも不細工なのか?

自分は運動ができるのか?できないのか?

受験勉強はできるのか?何が得意なのか?

 

そういう基本的な自己認識が本当に悪魔的に皆無だった。

ではどうやって自己を認識していたのだろうか?

 

・・・信じられないことに母親(産み落とした生命体というだけの事実を根拠にこう名乗る人物)から言われた認識をそのまま何の疑いもなく信じていたのである・・・!!!

 

 

絶望だ!絶望だ!絶望だ!俺は母親のなんなのか!?

 

なぜこうまで自分を生んだというたったそれだけの関係しかないような

得体のしれない生命体に俺はこうまで囚われなければならないのだろうか?

 

・・・つまりそれが歴史であり、それが運命であり、それがつまり個人というものの限界であるからか・・・・??

 

絶望すること以外、これ以上何をしろというのだ・・・。

母親は死んだ方が良い

私の母親はそれはそれは酷い人間であった。

精神的な虐待を受けて育ったといっても過言ではない。

 

貧弱なフィジカルやどうしようもない顔面なども

全て母親ゆずりであるところも絶望を助長するには十分すぎるほどだ。

 

私の母親のひどさを表現するには、圧倒的に文学的比喩が必要だ。

しかし私にそれを記述する才がないことが悔やまれる。

ともかく、食いものには困ったことはないのではあるが

文化的、愛情的、人間味的に砂漠地帯に育ったのである。

我々3兄弟は!なんということだ、そして自分の立つ足元が

カラッカラに乾いた砂漠であるということに、この世に水や果物といった

人間味のある瑞々しい豊かさがあるといったことさえ認識できずに

少年になり、青年になり、大人になり、恋愛をし、仕事をして、

おじさんになって今に至るとは!!!

 

絶望だ!絶望だ!絶望だ!

 

はやく死んでほしい。

 

遺産だけは欲しい。

 

それは我々3兄弟の受けた精神的な苦痛に対する当然の慰謝料なのだ。